2018年4月1日日曜日

【變身怪醫@國家戯劇院】酒と涙とジキルとハイド~これ以上ないほど「三谷幸喜してる」芝居の結末とは




三谷幸喜氏演出のお芝居『變身怪醫』(原題:酒と涙とジキルとハイド)を観に行ってきました。三谷映画は台湾でも人気があるうえに、ラブリンこと片岡愛之助氏も御来台ということで、会場はほぼ満席。
じつは三谷幸喜のお芝居を観るのは初めてでしたが、三谷氏が映画作品のなかで繰り返し描いてきた「ひとりの人間の中にある多面性と滑稽さ」というエッセンスを凝縮したようなお芝居で、まさにザッツ・三谷幸喜!という秀逸なシチュエーションコメディ(以下ネタバレあり〼)。
あらすじは悲劇『ジキル博士とハイド氏』の設定だけを借りて、喜劇仕立てにしたもの。人間の善と悪、両面性を別人格に分離することに成功したという触れ込みのジキル博士(片岡愛之助)が、実は実験に失敗しており、売れない役者のビクター(藤井隆)を自分の「悪人格・ハイド」としてお芝居を仕込んで、翌日に控えた学術発表を乗り切ろうと企む。
実験室でのリハーサル中に、ジキル博士の許婚者イブ(優香)が実験室を訪ねてくる。野蛮で悪人のハイド(藤井隆)に惚れてしまったイブが、自分も理性の殻をやぶろうと薬を飲み、プラシーボ効果(本来は効果のないものを、自分で効果があったと暗示にかけること)で非社会的な悪人格「ハイジ」に変身してしまう、およそ一時間半が一幕、登場人物は4人のみのドタバタ劇。
テンポの良い安定したお芝居で会場は爆笑の渦(途中、フランスパンの代わりに「油條」を登場させるサービスもあり)。舞台の両ぎわに中国語字幕が出ており、字幕のタイミングや翻訳もよかったのか、台湾の人にも超絶ウケていて、演じてる方はさぞかし気持ちよかったでしょう。映画館でもそうなんだけど、日本人と台湾人でウケるポイントも微妙にずれがあったりするので、それも現場で観る楽しさのひとつ。
四人の登場人物もそれぞれ上手で、ラブリンはさすが歌舞伎俳優だけあって、腰から下に重心がある感じで物凄い安定感。あと、意外にも優香が華奢なのに体幹強そうな芝居を見せていた。優香は昔からけっこう好きなタイプですが、こんなにお芝居できるんだ!と嬉しい驚き。音楽もビブラフォンやパーカッション・管楽器などの生楽器による即興演奏で、ドタバタしてるのに軽やかで、繊細で練られた効果音に日本ぽさがにじみ出て、とてもいい。
興味深かったのが舞台装置。スクエアな箱を斜めに切ったような感じで、屋上二階部分が沢山の生楽器(パーカッションやら鍵盤・管楽器など)が並べてあるお二人のミュージシャンによる演奏スペース、そこから階段を降りていくと、1階部分は沢山の薬品などが壁に並んだジキル博士の実験室になっている。
この装置、ひとりの人間の頭というか「精神」っていう風にも観ることが出来る。沢山の楽器が所せましと並べられている屋上(二階)部分が脳みそで、一階の実験室は心の奥底の深層心理、一階と天井をつなぐ階段は神経みたいなものかもしれない。四人の登場人物はそれぞれ、人間の深層心理のなかに渦まく「建前」「面子」「名誉欲」「性欲」「創作意欲」「正義感」「衝動」「客観性」「親愛」「嫉妬」なんてものを象徴していて、屋上の脳みそ部分が深層心理に釣られて音を出したり、逆に音に釣られて精神が動いたりっていう、人のこころの動きの複雑さが、ひとつの舞台構造から醸し出される。こういうと、「悲しみ」「喜び」「笑い」「怒り」などの感情をキャラクター仕立てにしたピクサーの傑作アニメ『インサイドヘッド(inside-out)』に近いかも。
一人の少女の成長を描いた「インサイド・ヘッド」に対し、こちらの舞台の結末は、婚約者のイブに去られたジキル博士の薬が「酒と涙」と融合した末に化学変化を起こし、ついに薬が完成したと思われるが、飲んでみても、結局はジキル博士に何にも変化は訪れなかったというもの。
つまり、どんな変化や変化をもたらしそうと思われる事があったとしても、結局は人間そう変わりやしないってことで、観客の笑いがクライマックスになったところで幕。
なーんだ、これって三谷幸喜作品そのものじゃん!!!映画はじめシリアスや色んな分野ものに挑戦しているけど、結局のところはこの「酒と涙とジキルとハイド」みたいなシチュエーションコメディ舞台こそが本懐で、結局そこの芯の部分は変わらないっていうか変わりたくても変われない事の自嘲的な笑い。
「役者」を演じる役者の藤井隆、「人間の二面性を証明する芝居」を打つラブリン。「作品が作品を語る」というメタフィクションの入れ子構造になっているこのお芝居の究極は、「三谷幸喜」とは何かを三谷幸喜自身が語るっていうメタフィクション。
どうりで終わった後の感想が、「あー大満足!三谷幸喜でお腹いっぱい!」って感じになるわけだ。


2018年3月30日金曜日

思考する旅を自ら体現した『BRUTUS』



一青妙さんと『BRUTUS』誌・西田善太編集長の対談、やるなあnippon.com!

今回出た『BRUTUS』台湾特集号ムック、感服でした。去年の騒動のアンサーソングとしての夕暮れ國華街の表紙に、『BRUTUS』誌を支える思考力の底力というか「品格」みたいなものを感じ、長年、ほんとの大人が常に一目置く存在として君臨してきた雑誌って、やっぱり違うなあって改めて考えました。
わたしも、去年の『BRUTUS』表紙騒動については一つ文章を発表させてもらい、沢山の方に読んでいただきました。中にはタイトルだけを見て『BRUTUS』誌を一方的にディスってるみたいに捉えた方もいたようですが、よく読んで頂ければ分かってもらえると思うのだけど、わたしが問題にしたのは『BRUTUS』誌自体ではありません。

(元記事参考:https://www.nippon.com/ja/column/g00425/
一番言いたかったのは「台湾について思考停止しないで」ということ。
台湾ブームらしきものが起こって以降、テレビや雑誌で取り上げられる台湾がとても一面的な切り取られ方がされている事になんだかなーって思ってたところに、ちょうど『BRUTUS』騒動があったので、それを機にそれまで感じていたことを文章にしました。
わたしの個人的な意見ですが、表現者の役割とは、読者に「過程」を提供することにあると思っています。例えば「読書」という旅、「コーヒー」という旅、「アート」という旅etc...。それは受け手が旅に出るまでの、旅に出てからの、旅を通して考えるための「過程」でもある。
最初から「この懐かしさがいいんだよね!」ってメディアが提供し、その通りの感じ方で終わってしまうのは、どうなのか、危ないんじゃないか、しかも旅行先となると相手もいることだし、っていうのがわたしの記事の論旨でした。
きちんと考える過程を通ってもらって「やっぱり台湾の魅力は、こういう懐かしさや郷愁にあるなあ」「レトロでかわいい」って読者が最終的に感じれば、それはそれでいいし、決して「それはダメ」じゃない。だって個人の感じ方は誰にも規定されるものではないし、自由だからです。
そういう意味で今回の『BRUTUS』誌の「台湾特集」ムックが、雑誌みずからが「旅のなかで思考する」という過程を体現し読者に示したのは、ほんとうにすごい事。地震の被災地・花蓮についての追加記述があるのも嬉しい。
『BRUTUS』台湾特集に関わられた皆様、すばらしい「台湾特集」を見せて下さり、本当に有難うございました。


2018年3月27日火曜日

【受講備忘録~90年代を描く台湾映画で懐古されるジェンダー保守日本】

昨日は日本台湾学会第80回台北定例研究会にて、台湾文学研究者の赤松美和子さんの講演を聴きに伺いました。赤松さんは、台湾における戦後の台湾文学環境から、現在の「作家ー読み手のインタラクティブな創造空間」に到るまでを分析したご著書『台湾文学と文学キャンプ』の台湾版を、今年1月に出版されました(『臺灣文學與文藝営』)。どうやって現在の「サロン」的読書空間の盛り上がりが台湾で形成されるに至ったかというのを日本人視点で細かく論じた、台湾の独立書店に興味がある方には是非ともおススメしたい本です。
講演タイトルは『90年代を描く台湾映画で懐古されるジェンダー保守日本』。
「90年代」「台湾映画」「懐古」「ジェンダー保守」。
もう、一つ一つのワードがいちいち個人的にツボなのですが、講演内容もまさにストライクゾーンど真ん中。
『藍色夏恋』『九月に降る雪』『あの頃、君を追いかけた』『私の少女時代』と、90年代を舞台とする現代台湾の青春映画をめぐって、その中で日本のサブカルチャーがどういった風に台湾映画の中で表象として表れているかというのを示しながら、90年代に日本から台湾に渡ったサブカル文化の描かれ方が「ジェンダー・ステロタイプ」なことに着目し、封建的なヘテロセクシュアル観念に通じる表現に関してはカッコ書きの「日本」の中に収束され「簡略化」(というか、あんまり考えられていない)されて棚上げされているのではないか。
またそれは、同性婚合法や女性社会進出の定着などジェンダー的に進歩的な台湾社会の指向性と矛盾しているのではないか、という鋭いご指摘でした。
このテーマについては、わたしもニッポンドットコムで同じような趣旨の記事を書いた際に、特に台湾の方から、反発や考えすぎ、さらに「台湾にそれを植え付けた自分(日本人女性)としての反省はないのか」などのご意見を頂き、正直かなり落ち込みました。
でも、若い台湾人の方(男性ふくめ)には割とポジティブな意見として受け入れられたこと、また日本人の中国語翻訳などをしてる方のブログで↓
「こうしたステロタイプなイメージに乗っかる形で、現在台湾で活躍中の日本人女優が男性用避妊具を手に微笑むといった構図の広告を打つのは、日本人女性に対する一面的な見方の助長という点でも、性差やジェンダーの意味や実相の多様性が再認識されつつある現代の視点からも、かなり危ういのではないか」
http://qianchong.hatenablog.com/entry/2018/01/24/100709

といった風にきちんと読み取って下さっている方もいることに励まされたのですが、今回の研究会に参加して、同じような問題意識を持っている研究者の方がいることを本当にうれしく思いました。
台湾コンドーム広告についての記事は、アラビア語にも翻訳されたようです。

女性の立場が極端に低いアラブ諸国ですが、それだけに民主やジェンダーに関する映像表現は、ものすごく細分化・意識化されて表現されていますし、それだけに、翻訳して頂けたのかなと思っています。
イラン映画における映像の洗練についての筆者の感想↓ 
【イラン映画】Jafar Panahi's Taxi/計程人生/タクシー ~薔薇と罪は地続きにある
https://taipeimonogatari.blogspot.tw/2016/07/taxi.html

わたしが台湾社会を眺めたり考えたりしてきているなかで、「台湾って日本の鏡だなあ」って色んな意味で思うことが多いのですが(逆もまたしかり)、この「台湾での日本ジェンダーステロタイプ問題」も、例えば上述した「台湾にそれを植え付けた自分(日本人女性)としての反省はないのか」というのが、日本での痴漢やレイプ被害者に対するセカンド被害(被害にあった人自身に問題があるという指摘)にすごく似ているように思います。
台湾におけるこうした「日本人女性棚上げ問題」から、世界的に起こっている「MeToo」問題が日本では全然盛り上がっていかない理由(被害者自身が反省したり反省を求められたりする構造)も読み取っていけるのではないか、そんな風にも感じた、とても興味深い講演でした。

2018年3月21日水曜日

【連載コラム】栖来ひかりの綴る「日本人に伝えたい台湾のリアル」

「Wedge Infinity」で、中台関係に関連する記事を2本執筆しております。
一見、正反対のことが書かれているように見えるかもしれませんが、基本的には同じようなことを、全くちがう切り口で書いてみると、いろんな反応が見られて面白いです。

(3/20公開記事)

そうだ 台湾映画、見よう。


中国資本に侵食される台湾エンタメ界の苦境と希望

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12276


(3月9日公開記事)

「台湾女子」の間で「中国男子」が人気のワケ

変遷する台湾ミレニアル世代の中国観



2018年3月18日日曜日

【講演備忘録】「帝国の網と鑿」



昨日は、台湾の政治・近現代史研究で著名な若林正丈先生の講演を拝聴に伺いました。
若林先生のお話を聞くのは初めてで、まずは「帝国の網(アミ)と鑿(ノミ)」っていうタイトルが意表をついていて興味津々だったのですが、結果「網」「ノミ」っていうメタファーが想像をどんどん膨らませ連想を呼んでくれる、とっても愉快な講演でした。

《帝国の網》《帝国の鑿(ノミ)》とはそれぞれ、現在の「台湾」という輪郭を形づくってきたもののこと。
清朝・日本・中華民国・アメリカなどの帝国による「辺境ダイナミズム」に晒された台湾という場所に「社会」「国家」「国家意識=国民」が時代ごとに生まれ、後を引き継いだ為政者がそれらを掬い取るようにして次の支配に生かしたことで、連続性のある現在の「台湾」が出来上がった、これが「網」。
またその輪郭は、それぞれの「帝国」より打ち込まれた社会的ストレスや財産搾取・差別などの「鑿(ノミ)」によってナショナルが形成されていき、現代の台湾となっている、例えば最近の中国による「對台31」も新たな鑿といえるかも、というのが今回の講演内容の(かなり)大雑把な個人的理解です。
(読み間違えがあればすみません、ご指摘頂けると幸いです。これ以下の文章はわたし個人の連想と思いつきに拠ります)

とくに面白いなと思ったのは、「鑿(ノミ)」という表現
「国の形」をひとつの彫刻作品のように捉えることに、とてもイメージを刺激されました。鑿って槌とともに彫刻作品をつくるときに使うもので、力の入れ具合や打ち込む方向なんかも含めてバランスよく上手につかえるかが、為政者の力量といえるかもしれない。

そこで思い出したのが、むかし国語の教科書に出てきた夏目漱石の『夢十夜』。第六夜で「鎌倉の彫刻家・運慶の作品が素晴らしいのは、もともと木の中に埋まっているものを『彫り出している』からだ」という話があります。
今回思い出して青空文庫でもう一度よみ返したのですが、改めて色んな発見がありすごく面白かった。
つまり、木のなかに本当に埋まってるかどうかは別として、観る人たちに「さも埋まってるものを上手く彫りだした」ように思わせられるのが、運慶が名人たる所以なのです
そして最後に主人公は、埋まっているなら自分も彫りだせると信じて明治の木をかたっぱしから彫ってみたが、そこに仁王は埋まっていない。「明治の木には仁王が埋まっていない」というのは、廃仏毀釈が進み神道や国学が優位になっていくなかで、「木のなかに仁王が埋まっている」と人々が信じこんで精神的支柱にできた程の鎌倉期における仏教への精神的信頼が社会から失われてしまった、と理解できます。
そうしたことを踏まえて台湾に戻れば、木の中に元々なにかしら「本来の台湾」が埋まっているという仮定で、それを上手に名人のように掘り出してみせた運慶的な為政者が、李登輝元総統だったかもしれないと思いつきました。

この「網」と「鑿」の話、これは台湾に限らず、おなじく極東の島国である日本にも応用可能な話で、明治以前、日本もはやり帝国的辺境ダイナミズムにもまれペリーの黒船という「鑿」を受けて「網」に掬われまいとしたことで「日本」の輪郭が形作られたと考えれば、まさに「『日本』という形が木のなかに埋まっているはず」と皆が考えて行われたのが、「明治維新」だったといえるかもしれません
その後そうしたナショナルが進んだ結果に帝国主義化した日本は自らもまた「網」となってしまう訳ですが、この木のなかに「国の形が埋まっているはず」と信じる精神的な働きについて考えた時、最近とくによく台湾の緑派のなかで「明治維新」というトピックが話題にのぼる意味や、政策的にはリベラルな立ち位置である台湾の緑派が、日本の保守派と親和性が高い理由が、胸にすとんと落ちた感じがしました。

2018年3月10日土曜日

【情報募集/阿里山の木材が使われていている日本の建造物】

きょうのグーグルトップの画像は「阿里山森林鉄道」。今日でちょうど開通106年を迎えたそう。昨日ちょうど、陳澄波文化基金会を訪れて会長の陳立栢さんと阿里山森林鉄道の話をしたとことろだったので奇遇に思います。
阿里山のある嘉義を故郷とする陳澄波文化基金会では、「阿里山の世界遺産登録」を目指し、さまざまな資料集めを始めたそうです(実はユネスコに入っていない台湾は世界遺産の認定を求めることが出来ない状況ですが、いつか状況が変わることに希望を抱き準備を進めているとのこと)。
中でも今探している情報が「日本に残る阿里山由来の木材の建物」について。日本時代には台湾より多くの檜木が刈りだされて日本に運ばれ、多くの寺社仏閣の建造に使われましたが、産地も色々でその出自が阿里山のものと特定されているものは少ないそう。現在、はっきりと確認できているものは、明治神宮の一代目大鳥居のみ(空襲で倒れた後、現在は埼玉の氷川神社の鳥居として残っているとのこと)。
山口本の取材中にも、下関の乃木神社や防府の毛利邸、周防大島の日本ハワイ移民資料館などいくつか台湾産檜木を使った建物を見たので、阿里山のものかどうかこれから調べる予定ですが、他にも全国各地で「あそこの建物は阿里山の檜木を使っている」という情報があれば、是非とも栖来までお寄せ下さい。

ところで、山口本の執筆中に悩んだ点のひとつで「果たして台湾の人は日本に台湾産檜木の建造物が多いことを嫌だと思ってはいないか」という問題がありました。
 実際にネットでも、「台湾の多くの巨木が切られ日本に運び出されたのは悲しい」という言説をちょくちょく目にするので、その点について陳立栢さんに尋ねたところ、「台湾の阿里山附近の木を日本人が伐採したのは本当だが、じつはそれ以外のもっと広い地域で伐採が進んでおり、それは戦後に私たち台湾人が自分で伐ったものなのですが、間違った認識を持っている人が多い」という答えが返ってきて、実際に山の地図を見ながら詳しい説明を受けました。

こうした日本時代についての研究が相対的な視点から台湾の方々の間で進んでいることは、日本人として本当にありがたいというしかないですが、同時に陳立栢さんをはじめ現在の台湾「文史」に関わる方達の研究は、戦後の民国政府の教育の元に植え付けられた一元的で歪められた見方に対する怒りを発端としており、決して日本の植民地時代を美化したり讃えるものではないことを、私たち日本人はきちんと肝に銘じておくべきと思います。




2018年3月6日火曜日

京料理とお出汁についてのシンポジウム@台湾大学日本文化センター

(京料理におけるお出汁の試食として提供された「しんじょ」のお椀)

昨年『鮮味高湯的秘密』https://www.facebook.com/Japanese.dashi/
を出版し、台湾におけるお出汁の伝道師として活躍している友人の長浜智子さんがコーディネートをつとめた、台湾大学日本研究センターの「京料理と出汁の旨味」についてのシンポジウムを取材させて頂きました。
京都の龍谷大学·食と嗜好研究センター、伏木亨教授より「出汁の旨味と健康」について、また山崎英恵准教授より「京料理とはなにか」、さらに日本料理が世界文化遺産に認定される道筋を作った村田吉弘さん(菊乃井)や、中村元計さん(一子相伝 なかむら)、高橋拓児さん(木乃婦)、才木充さん(直心房 さいき)と京都の老舗料亭のそうそうたる面子が招かれ、本格的な京料理の「八寸」「お椀」が、台湾大学で日本文化を学んでいる学生を中心とした150名に上る出席者に振る舞われました。


台湾の方々は日本文化への興味も大きくよく日本を訪れていますが、実はより深く理解する機会があまり無かったりするので、こういう場が設けられるのは本当に意義深く思います。しかも日本料理や旨味についての研究も日々進化していて、日本人でもなるほどと思わされる事が沢山あり、精神性だけでかたれない、日本料理のロジックや脈絡がアジア文化の中でどう成立して支えられてきたかを改めて考えさせられる良い機会となりました。
ポリネシア、福建、日本、戦後の中国省籍料理と色んな食文化がミクスチャーしたのが今の台湾料理ですが、シンポジウム後にNHK「きょうの料理」でおなじみの高橋託児さんたち京料理の「大厨師」たちに、逆に日本料理からみた台湾の食の魅力なども教えて頂き、鏡のようにお互いの魅力を発見していける日本と台湾の関係というものを再認識しました。


(NHK『きょうの料理』でいつも冴えてる高橋託児さん、今日の喋りも冴えてました)


試食の八寸とお椀に添えられていた柚子や山椒の発する圧倒的な郷愁に思わず台湾にいることを忘れたのですが、あとで「さいき」の才木さんに「みょうが」は台湾産と伺い驚き!台湾でみょうがが育てられているとは思いもよりませんでした。

『鮮味高湯的秘密』https://www.facebook.com/Japanese.dashi/